おやすみ、いい夢を。

デンマークで留学をしていました。フォルケホイスコーレ。保育。福祉。ひっそりと。

ゆらゆらと

 

 

四国に行ってきました

今は帰りのバスの中。

 

 

今の天気のように

今にも雨でも降りそうな

もやもや〜っと

した気分なので

考えてることを言葉にしてみよう。

 

 

 

 

 

 

 

結局、生活というのはさ、

日常と非日常に支えられているんだろうな。

 

 

 

 

最近はいつだって

非日常に逃げたくて

漫画を読んだり

音楽を聴いたりしていた訳だけれど

 

四国でのキャンプは本当に非日常体験だった。

 

 

 

 

でもさ、本当に本当に非日常だった訳ではなくて

すごくいい景色の前で

考えるのは仕事の事だったり

将来の事だったりする。

 

 

非日常だって日常に支えられているはずだ。

大変な日常である程、非日常が際立つのだから。

 

 

 

でも、非日常なのに日常の事を考えてしまった。悔しい。

明日仕事行きたくない。

 

と思う自分がちょっと嫌だ。

 

 

 

 

うまく言えないけど。

 

日常がうまくいってないから非日常に逃げるのではなくて、

日常のちょっといい部分を非日常に持っていきたい。

 

 

日常が常に非日常であったなら、

非日常に逃げたくなるなんて事ないくらい日常が素敵であれば、

なんて

 

きっとそんな単純な話じゃないんだろうな。

 

 

 

 

思えばデンマークで過ごした時間は

日常を切り離して

非日常の中で日常を生きる

不思議な時間だった。

 

 

今のような仕事やプライベートな悩みからは解放されて、

遠いデンマークの地で

言葉も見る世界も全然違う所で暮らす。

でも、旅行ではないからそれなりに嫌なことも退屈な事もあるのさ、

 

 

きっと、そんなのもあっていい。

 

 

黒と白のバランスの取り方が、

どこが心地良いか

自分で分かればいい。

 

それもこれも経験値だから

レベルはあがっていると言えるだろう。

後退してるようにも感じるけど

そう思いたい。

 

 

 

 

明日からまた、日常へ。

目の前の事に、今に集中するんだ。

シャツがね

 

 

最近気づいた事があって。

 

シャツがね、

似合わない。

エリついてるやつ。

 

28年も生きてきて最近気づいた。

 

 

でもさ、見てると欲しくなるのよね。

 

 

 

肩幅が広いから

肩とか胸が窮屈なんだ。

 

 

見て素敵だと思うことが

自分に合っているという事は

必ずしもイコールではないんだな〜

 

 

 

少しの背伸びや

少しの見えっぱりは

たまには必要だけど

 

自分に合った服や着やすい服が

やっとちょっとだけ分かってきた気がする。

 

 

 

 

今の仕事は

素敵で魅力的な人たちに囲まれてるから

幸せだけど少し窮屈で。

背伸びをいつもして自信が持てなくて。

いつだって褒められたいというか

褒められなければ不安な自分を

どうにかこうにかしていきたい。

 

 

 

どうすればいいのかは全く分からないので日々の生活に身を委ねよう。

 

おやすみ

 

自分にやさしく

 

デンマークから帰国しました。

 

ずっと自分の気持ちを表す言葉を探していて、

出したいけど出し惜しみして

 

もう3月になってしまった。

 

 

 

 

 

帰って来てから色々な事があって、

自分の中にもいろんな変化があって、

でも何で変化したのか、忘れてしまってきてしまっている気もしたから

綺麗ではなくても残していきたいと思った今日この頃。

 

 

 

 

 

 

今思う事は、

日本社会はどうも疲れ切ってしまったり

しんどい思いをしてる人たちが多いという事。

 

 

少しずつ

少しずつ

積み重なっていくストレスは

どんどん形を変えて

いろんな方法で外に出てくる

 

 

何気ない一言や

世間の常識

組織の常識

やらなければいけないこと

できていなければいけないこと

真っ当であり続けなければいけないこと

 

小さな事から大きな事まで

プレッシャーとしてのしかかる

 

 

私が言った何気ない一言が

周りの人を傷つけた事も沢山あったのだろうと悲しくも悔しくもなる。

 

 

 

関わっていく人たちは深く知りたいと思うが故に超えてしまうプライバシー

だからといって当たり障りのない話ばかりしていてもと思う気もする。

 

 

 

 

結局、思いやりのある言葉だとか向き合い方とは何なのだろう。

 

 

 

 

自分が働く話をすると

正社員になりな、

ここはどう?

とチラシを見せるばぁちゃん。

 

 

 

私のことを心配しているし

想ってくれているのは分かる。

 

 

 

でもそういうのが一番ストレスだし

プレッシャーなのだ。

正社員が社会的にいいことだって

働かなきゃいけない事だって

ちゃんと分かっている。

 

 

どんなに思いやりをもっていたって

伝え方次第、やり方次第で

いくらでも形を変えてしまうのだと思った。

 

 

 

 

そんなストレスやプレッシャーの中で

生きて、真剣に悩み、もがく姿は

真面目で勤勉だなと思う。

 

 

私がデンマークで大学の先生に言われてすごく心に残っているのが

「もっと自分に優しくしてあげて。」

という事だった。

 

 

 

 

もちろんまじめである事やストイックである事も生きていくには大事だけれども、

もうちょっと不まじめでもいいし

不器用でいい。

なにも成し遂げなくてもいいんだ。

 

自分自身がハッピーでいれるように。

周りの人がハッピーでいれるように。

 

 

 

 

 

 

 

「自分にやさしく」キャンペーンしていこう。

どうでもいい話。

 

どうでもいい小噺を一つ。

(誰かに話したいけど話す人がいない)

 

 

私はあと2週間ほどで帰国する。

前々から飛行機のチケットは予約してあり、

過保護な母親は迎えに来たいと仕事の休みまで取っていた。

 

 

いつ帰国だっけ?という母に、

21日だよ!と

21日15:45−10:45と書かれた予約の写メを送る。

 

 

 

 

ある日、自転車に乗りながらふと考えた。

飛行機を乗る直前に日本に電話をしたら、日本はもう21日の夜中のはず。

って事は私はもう日本に着いてる?

 

もしかして、もう到着している自分と話ができるんじゃないか?

 

 

 

 

 

世紀の大発見をしたと思った。

 

自分が無事日本に帰れたか、飛行機が経つ前に知る事ができるのかも。

 

ってか事故とかテロとか防げるんじゃない??

 

でも時空がおかしくなるから電話がいきなり切れたりするんだろうか?とか

なんか不思議な事が起こるんじゃないか?

と、ワクワク。

とりあえずググってみる。

 

 

 

 

 

 

 

でもグーグル先生は期待したような結果は教えてくれず。

 

 

みんな気づいていないのか。

私すごいじゃんとか思いつつ←

 

 

 

意気揚々と母にLINEして、説明をする。

「未来の自分と話せるのかな?」

 

 

 

 

 

返信はたったの一言。

 

 

 

 

 

できないだろ

 

 

 

 

 

 

 

一気に冷静になる私。

 

あれ?もしかして?

と調べてみるとやっぱり。

 

帰国日21日じゃなくて22日だーーーーーーーーーー!

 

 

時間の計算間違ってるだけやーーーん

 

 

ばかすぎる。

普通に考えてみれば、当たり前だ。

 

 

予約表に+1日と書いていなかったからてっきり、、

 

 

書いてよ!普通書くでしょ!

 

妄想に使った時間返してよ!

 

 

母には、

無理して21日休み取ったのに!もう!

と怒られる始末。

 

 

 

 

 

 

奇跡の大発見はまた今度に取っておこう。

 

 

 

無事帰れますように。

壁のその先

 

壁にぶち当たっていた私ですが、今日ようやく全てを終える事ができました。

 

それはそれは、しんどかった。

でもすごくすごくいい経験をしたので残していきたい。

 

プロジェクト自体が終わって(中学生とフィルムをつくる)

二週間をかけてグループワーク(3人か4人)で振り返りをし、paperと、oral presentationをする。

paperはしっかり構成まで決まっていて、今回のプロジェクトのベースとなる「co-creation, democratic education, citizenship」の理論を交えてまとめていかなければならない。

oral presentationは、45分間ビデオや写真、ワークショップなどを交えながら話をする。

 

プロジェクトの時点でもう心が折れていた私は、このグループワークについていける自信もなければ、もうそんな力も残っていなかった。

もうドロップアウトもしようかと思ったけれど、出し切れなかった思いや悔しさが残っている。

ゴールがぶれなければ、プロセスはそんなに重要じゃないはず。

このままグループワークに参加していてもきっと意見は言えないだろうし、私の学びたい方向性でもない。オランダ人に気を遣う事にエネルギーを使うならば、その分自分のリフレクションにエネルギーを使いたい。などあれこれ考えて、いろんな人に背中を押してもらい、先生に相談をした。

そしたら、私は単位が欲しい訳でもなく、自分のために勉強しているのだから、好きにやっていいよ。と言ってもらい、特別なスケジュールを組んでもらう。paper も理論と結びつけて難しい事を書くのはできないので、自分のリフレクションを書いたものにしてもらった。

 

という事で2週間のグループワークの時間を丸々自分のリフレクションの時間にあてることになったのだ。でも、この2週間はひどいものだった。

ほぼ気持ちを立て直す事に使って、考え事をしたり、漫画を読んだり、ひきこもり生活を送っていた。人が怖くて大学に行く時には皆を避け、自己肯定感などどこかにいってしまっていた。

それでもなんとかpaperを書き、今日がoral presentationの日だったのだ。

 

最初のグループがプレゼンを行う。

それはそれは、素晴らしかった。クリエイティブなグループで、プロジェクトの色んな参加の方法を人形劇、音で表す。その後、皆で話になり、4つのグループに別れる。さっきの参加の方法の音を組み合わせていき、一つの音楽をつくる。いろんな方法があってそれが組み合わさり、一つの素敵な物ができあがる。

その後、どういう参加の方法がいいか、ディスカッションになる。先生が「いろんな参加の方法があっていい」などと話をする。全てを完璧に理解できた訳ではないけれど、その話を聞いていて、私は自然と涙を流していた。

 

理由の一つは、昔の傷を思い出していた事。

私がかつて働いていた職場では、支援員の方法や意見の多様性があまりなかった。

力をもったリーダーがいれば、その考えが合っていなくてもその方法が良しとされる。「力をもった」というのは結果がだせるという事が多い。この人がいれば利用者さんが落ち着く。とか。問題行動を止められる。とか。

でも結果を一番簡単に出せる方法は、パワーを見せる事だと思う。威圧的であったり、暴力的であったり。周りのみんなも少しずつそれはよくない事だと気づき始めていたけれど、誰も止める事ができず、大きな事件に発展してしまった。

今思えば、「そんなの直接意見すればよかったじゃん。」とも思うし、実際他の施設の支援員にもそう言われた事がある。

でも、あの時は頭で思っていてもできなかったのだ。恐怖も不安もあった。

 

今回もそれと似た経験をした。オランダ人は、威圧的な支援をして、プロジェクトをいわゆる”成功”させた。私はその空気感がすごく嫌でやりたくなかった。でも意見は言えないし、止める事もできなかった。

どちらも、すごく後悔しているのだと気づいた。

 

あともう一つは、

そんな自分の意見が押しつぶされる事がしんどかったのだ。と気づいたから。

プロジェクトの中で、クラスメイトは「どうやって生徒達を怒るか」なんて談義をするくらいだった。怒るのは、誰だってできる。家族でも友達でもいい。

でも、怒らずに色んな方法を考えてできるのが専門職だと思っている。

それだって、その環境の中で私は自分の意見をいう事はできなかったし、自分の考えが受け入れられるとも思わなかった。多数の意見の中に混ざり、それが良いのかもわからなくなっていた。

 

だけど、このプレゼンでは自分と同じ意見をもつ人がたくさんいるという事が知れて、受け入れられた気分になった。

 

感動と後悔そして緊張が混ざり、涙を流してすごく不思議な気分の時間だった。

 

 

そして、自分のプレゼン。原稿は5分くらいの短い内容。

原稿を見つつ、つたない言葉で、ゆっくりと。つっかえながらも。

頑張って話をした。

 

自分ができなかった事。

色んな参加の仕方がある事。

自分が出来ないからこそ、実践としてみんなとは違う方法を選んだ事。

実際やってみる事で、得た事。

 

社会やコミュニティの輪や方法から出て自分なりの方法を取ることはすごく怖いことだった。でも障害のある方が私に教えてくれたように、できない自分だからこそ、伝えられる事があって、救われる人がいるのではないかと思った。

伝わらないのじゃないか?批判されるんじゃないか?とすごく怖かった。

 

話終わった後は、フィードバックと質問の時間。

たくさんの人たちが、「勇敢だった。気持ちをつたえてくれて感謝している。私もプロジェクト辛かったよ。」と話をしてくれた。

 

私の伝えたい事や見せたい事をしっかりと受け止めてくれていた。

 

社会の基準で言ったら私のプレゼンは決していいものでは無かったけれど、福祉の世界で生きていきたい私にとって、社会の基準ではなく物を見れるとか、その方法が増えるという事は価値のある事に思えた。

 

自分ができる範囲で、自分なりの方法で。今までは、壁を越えるか越えないかしかの選択肢しかなかった。壁を越える事も時には大切だけど、壁の前で立ち止まったり、違う道を探したり。穴を掘ってみたり。いろんな方法があっていいはず。

 

 

そして、もう一つ感動した事が。

フィードバックの中で、スペイン人のある子が、「あまり話をしなくても、みんなに迷惑をかけている訳じゃないし、笑顔とかいる事や話を聞いてくれるだけでもいい事だし、私たちは影響を受けているから、心配しなくて大丈夫だよ」と言ってくれた。

 

私は、4ヶ月クラスの子と過ごしていても、コミュニティであまり馴染めているとは言えなかった。

フォルケの友達とは少し肌感の違いを感じていたから。自分の学校生活の時の、「おもしろい人や可愛い人、これができる、あれができる」などで判断されるような感じがあって少し距離を置いていたのだ。パーティー好きで典型的な若者っぽいというのもあるのだけれど。

 

でも今回その言葉で、「何もできなくてもここにいていいんだよ」と言われたような気がした。私は、無意識の内に、コミュニティに貢献できない自分に、足をひっぱっているのではないか?ここにいていいのか?と感じていたのだ。居心地が悪く、地獄のような空間だったお昼も、楽しめて最後の最後でやっと居場所が見つかったような気がした。

フォルケは特別な場所のように思っていたけど、コミュニティへの向き合い方次第。自分次第なのかもしれない。

 

「何もできなくても、そのままでいいんだよ」という事自体は、私は親に与えてもらってきたような気がする。それは具体的な言葉ではないけれど、暮らしの中で。

だけれども、社会の中で口に出して伝えてもらったのは初めてな気がした。

 

今まで何かを成し遂げる事で得る充実感とは、またちょっと違う幸福感や満たされ感に満ち溢れていた。27年生きてきて、初めての感情に出会う。

 

 

今の教育や福祉に足りない物はこれかもしれないと思った。

できない事をできるようにする。とか、できなくても生きやすいような方法をさがす。

とかでもなく、できなくてもそれでいいんだよ。と。

 

デンマークに来て、

マイノリティーである事や、言葉を伝えられない事。できる事が少ない事。

自分の身になって経験出来た事はすごくプラスになっている。

スキルのせいで、コミュニティから抜けていく事や自分に価値が見出せない人たちに今ならできる事があるかもしれない。

 

 

経験や学んだ事、支えてくれる人たち。

いろんな事が伏線として起きて、デンマーク生活の最後でここにたどり着いた。

 

やっぱりすごいぞ。デンマーク

 

wall

 

 

デンマークに来て9ヵ月。

今の大学で勉強を始めて3ヵ月がたった今。

私は壁にぶち当たっています。

 

寮での一人暮らしをしている訳だけど、

一ヶ月住んでようやく外の鍵の閉め方を知り、

二ヶ月住んでようやく雨を防いでくれる駐輪場を知り。

三ヶ月で新しいシェアメイトに自己紹介をしはぐって、

 

と、なかなかいい調子だった私。

 

それでも大学の授業は楽しくて、パーティーや遊びにはあまり参加せず、周りから見たら地味だったかもしれないけれど、私なりに楽しく過ごしていた訳です。

 

 

 

 

でも、最後の大学のプロジェクトで心が折れてしまった。

 

やりたくない方法で進んでいくプロセス、

気の強いオランダ人のプロジェクトメンバー、

英語で情報がキャッチしきれず、ついていけない状況、

 

全てに負けてしまった。

 

 

今思えば、あの時こうしていれば、と状況をもっと緩和するとか自分の気持ちの落ち着かせどころがあったのかもしれない。

 

でもちょっとの後悔はどんどん積み重なり、

負担の大きい形でプロジェクトは終わってしまった。

 

自分に失望もしたし、

相手の悪いところを探して自分を正当化してみたりと

いろいろ考えてみたけれど、

どうすればいいのかもうさっぱりわからなくなっている。

 

向き合うのすら、しんどい作業なのだ。

 

 

問題なのは、これからどうしていくか。

もう起こってしまった事だから私が変えていけるのは未来でしかない。

信頼は地に落ち、発言をする事にもはや恐怖しか感じていない中で、グループで振り返りをしていかないといけないのである。

まさに地獄。

 

私は、すごく日本的な人間であるから周りの目を気にして、律儀であると思う。

 

この状況の中で、いかにやり過ごすか、いかに理由をつけて逃げるか。

という選択肢しかなかった。

これがまた、どっちを取ってもどう想像してもしんどいのだ。

 

9ヵ月目の留学で、私の心は磨り減ってしまっていて、

もうしんどい想いをし続ける事はできない。と途方に暮れていた。

 

 

 

そこで、デンマークのフォルケで学んだ 事をふと思い出す。

 

自分の気持ちに正直であることとか。

エネルギーの使い方。

やりたくない事はやらないとか。

 

考えてみれば、今までの人生、こういう事は多かった気がする。

どのコミュニティにも一人はいる、気の強い人。

その人たちにたくさん気を使って、エネルギーを割いてきた。

 

だからといってその使った分のエネルギー分得た物があったかと言われたら正直よく分からない。

その子たちと今関わっているかと思えばそうでもない。

 

この分のエネルギーを他の事に使えたらいいのではないかと思ったのだ。

 

 

 

他の人から見たら、

そんな事でくじけるのか、そんな事で逃げるのか。

と見えるのかもしれないけど、自分なりの、逃げるのでもなく、心の赴くままにやってみたいと思った。

 

 

でもやってみたらそれはそれでしんどい。

 

元々作ってきたもので、他人に気を使わないで自分の心の赴くままにするのは自分の文化や核に反するからだ。

そもそも人に気を使えない人間にもなりたくない。

 

 

こういう風に、物事にはメリットもデメリットもある。選択肢が増えた分、豊かではあるけど悩む事も多いのだ。

 

気づけば、デンマークでの私は、常に右に、左に揺さぶられ、自分自身が振り回されていた。

 

 

 

これでこそデンマーク

答えはない。いつももやもや。

でもすごく人間らしい。

 

 

どうしたらいいか。一つ答えがあるとしたら一人で抱え込まない事な気がする。

 

正解のない事を深く考え、一人で答えを見つけていく作業はすごく冷たいけれども、たくさんの人に話を聞いてもらい、話を聞くとなるとまた状況は変わってくる。

 

時には自分を納得させてくれる事でもあるし、反発する事もある。

でも、

 

私は、こうなった時頼れる人がたくさんいて、話をしてくれる人がたくさんいる。

今回の事もみんなが私に復活の呪文をかけてくれる。

至極幸せ。

 

私は私のペースで。できる事をやっていきたいと考えている今なのです。

わたしのこと。

 

デンマークに来たのは今年の3月。

 

都内の某大学のよく分からない名前の学部を卒業して、

知的障害者施設で働いていた私。

将来の事なんか何も見えないし、すごく何となく入った介護業界。

仕事はすごく面白かったけど、このままずっとこの仕事続けていくのかな?

このまま結婚とかして子育てとかするのかな?

とか色々考えると、30才までに自分のやりたい事やっておきたい!

30才までは自分にお金をかけたい。と思っていました。

 

やってみたい事はたくさんあったけど、その一つが留学。

もちろん英語とか多文化学びたいっていう気持ちはあったけど、この先30年も働くんだから一年位長い夏休みをとりたい。みたいな気持ちの方が強かったなあ。笑

海外留学という名がついていれば罪悪感も薄れるし。

 

そう、海外逃亡。

 

 

でも留学するなら多少のスキルとか資格とかあった方がいいよなあ。ってのと元々「いつかはとろう!」と思ってた保育士と社会福祉士の資格を通信の大学で取り始める。

これまたふわっと決めて何となく始めたけれどこれが辛いのなんの。

 

平日はフルタイムに残業ありで、土日に朝から晩まで授業を受けに行く。(都合のいい日にちで選んだ授業で単位をとるので授業に行かない月もあったけど)

プラスで自分のペースでレポートを書き、書いた分のテストを受けに行かなければならない。資格も二つ取っていたので単位は膨大。

 

始めた事を何度後悔した事か。

 

結局体調を崩し、最後の半年は仕事を辞めてしまったけどなんとか卒業し、デンマークに留学に来ています。バカンス!ひゃっほう。

 

3月は芸術系のフォルケ。

4月〜6月は福祉系のフォルケ。

7月はヘルパー仕事をしながらまったり暮らし

8月はアルバニアへ。

そして9月からは大学の短期プログラムにて保育、社会教育について勉強をしています。

 

なんだかころころ移動していて忙しいけれどもそれもそれでおもしろくて。

すこしずつあった事とか思い出して書いていきたいなー。

 

 

 

デンマークはもう寒くて日がすごく短いです。

天気が変わりやすくてすぐ雨は降るし、家にこもってブログを書くにはいい環境!