壁のその先
壁にぶち当たっていた私ですが、今日ようやく全てを終える事ができました。
それはそれは、しんどかった。
でもすごくすごくいい経験をしたので残していきたい。
プロジェクト自体が終わって(中学生とフィルムをつくる)
二週間をかけてグループワーク(3人か4人)で振り返りをし、paperと、oral presentationをする。
paperはしっかり構成まで決まっていて、今回のプロジェクトのベースとなる「co-creation, democratic education, citizenship」の理論を交えてまとめていかなければならない。
oral presentationは、45分間ビデオや写真、ワークショップなどを交えながら話をする。
プロジェクトの時点でもう心が折れていた私は、このグループワークについていける自信もなければ、もうそんな力も残っていなかった。
もうドロップアウトもしようかと思ったけれど、出し切れなかった思いや悔しさが残っている。
ゴールがぶれなければ、プロセスはそんなに重要じゃないはず。
このままグループワークに参加していてもきっと意見は言えないだろうし、私の学びたい方向性でもない。オランダ人に気を遣う事にエネルギーを使うならば、その分自分のリフレクションにエネルギーを使いたい。などあれこれ考えて、いろんな人に背中を押してもらい、先生に相談をした。
そしたら、私は単位が欲しい訳でもなく、自分のために勉強しているのだから、好きにやっていいよ。と言ってもらい、特別なスケジュールを組んでもらう。paper も理論と結びつけて難しい事を書くのはできないので、自分のリフレクションを書いたものにしてもらった。
という事で2週間のグループワークの時間を丸々自分のリフレクションの時間にあてることになったのだ。でも、この2週間はひどいものだった。
ほぼ気持ちを立て直す事に使って、考え事をしたり、漫画を読んだり、ひきこもり生活を送っていた。人が怖くて大学に行く時には皆を避け、自己肯定感などどこかにいってしまっていた。
それでもなんとかpaperを書き、今日がoral presentationの日だったのだ。
最初のグループがプレゼンを行う。
それはそれは、素晴らしかった。クリエイティブなグループで、プロジェクトの色んな参加の方法を人形劇、音で表す。その後、皆で話になり、4つのグループに別れる。さっきの参加の方法の音を組み合わせていき、一つの音楽をつくる。いろんな方法があってそれが組み合わさり、一つの素敵な物ができあがる。
その後、どういう参加の方法がいいか、ディスカッションになる。先生が「いろんな参加の方法があっていい」などと話をする。全てを完璧に理解できた訳ではないけれど、その話を聞いていて、私は自然と涙を流していた。
理由の一つは、昔の傷を思い出していた事。
私がかつて働いていた職場では、支援員の方法や意見の多様性があまりなかった。
力をもったリーダーがいれば、その考えが合っていなくてもその方法が良しとされる。「力をもった」というのは結果がだせるという事が多い。この人がいれば利用者さんが落ち着く。とか。問題行動を止められる。とか。
でも結果を一番簡単に出せる方法は、パワーを見せる事だと思う。威圧的であったり、暴力的であったり。周りのみんなも少しずつそれはよくない事だと気づき始めていたけれど、誰も止める事ができず、大きな事件に発展してしまった。
今思えば、「そんなの直接意見すればよかったじゃん。」とも思うし、実際他の施設の支援員にもそう言われた事がある。
でも、あの時は頭で思っていてもできなかったのだ。恐怖も不安もあった。
今回もそれと似た経験をした。オランダ人は、威圧的な支援をして、プロジェクトをいわゆる”成功”させた。私はその空気感がすごく嫌でやりたくなかった。でも意見は言えないし、止める事もできなかった。
どちらも、すごく後悔しているのだと気づいた。
あともう一つは、
そんな自分の意見が押しつぶされる事がしんどかったのだ。と気づいたから。
プロジェクトの中で、クラスメイトは「どうやって生徒達を怒るか」なんて談義をするくらいだった。怒るのは、誰だってできる。家族でも友達でもいい。
でも、怒らずに色んな方法を考えてできるのが専門職だと思っている。
それだって、その環境の中で私は自分の意見をいう事はできなかったし、自分の考えが受け入れられるとも思わなかった。多数の意見の中に混ざり、それが良いのかもわからなくなっていた。
だけど、このプレゼンでは自分と同じ意見をもつ人がたくさんいるという事が知れて、受け入れられた気分になった。
感動と後悔そして緊張が混ざり、涙を流してすごく不思議な気分の時間だった。
そして、自分のプレゼン。原稿は5分くらいの短い内容。
原稿を見つつ、つたない言葉で、ゆっくりと。つっかえながらも。
頑張って話をした。
自分ができなかった事。
色んな参加の仕方がある事。
自分が出来ないからこそ、実践としてみんなとは違う方法を選んだ事。
実際やってみる事で、得た事。
社会やコミュニティの輪や方法から出て自分なりの方法を取ることはすごく怖いことだった。でも障害のある方が私に教えてくれたように、できない自分だからこそ、伝えられる事があって、救われる人がいるのではないかと思った。
伝わらないのじゃないか?批判されるんじゃないか?とすごく怖かった。
話終わった後は、フィードバックと質問の時間。
たくさんの人たちが、「勇敢だった。気持ちをつたえてくれて感謝している。私もプロジェクト辛かったよ。」と話をしてくれた。
私の伝えたい事や見せたい事をしっかりと受け止めてくれていた。
社会の基準で言ったら私のプレゼンは決していいものでは無かったけれど、福祉の世界で生きていきたい私にとって、社会の基準ではなく物を見れるとか、その方法が増えるという事は価値のある事に思えた。
自分ができる範囲で、自分なりの方法で。今までは、壁を越えるか越えないかしかの選択肢しかなかった。壁を越える事も時には大切だけど、壁の前で立ち止まったり、違う道を探したり。穴を掘ってみたり。いろんな方法があっていいはず。
そして、もう一つ感動した事が。
フィードバックの中で、スペイン人のある子が、「あまり話をしなくても、みんなに迷惑をかけている訳じゃないし、笑顔とかいる事や話を聞いてくれるだけでもいい事だし、私たちは影響を受けているから、心配しなくて大丈夫だよ」と言ってくれた。
私は、4ヶ月クラスの子と過ごしていても、コミュニティであまり馴染めているとは言えなかった。
フォルケの友達とは少し肌感の違いを感じていたから。自分の学校生活の時の、「おもしろい人や可愛い人、これができる、あれができる」などで判断されるような感じがあって少し距離を置いていたのだ。パーティー好きで典型的な若者っぽいというのもあるのだけれど。
でも今回その言葉で、「何もできなくてもここにいていいんだよ」と言われたような気がした。私は、無意識の内に、コミュニティに貢献できない自分に、足をひっぱっているのではないか?ここにいていいのか?と感じていたのだ。居心地が悪く、地獄のような空間だったお昼も、楽しめて最後の最後でやっと居場所が見つかったような気がした。
フォルケは特別な場所のように思っていたけど、コミュニティへの向き合い方次第。自分次第なのかもしれない。
「何もできなくても、そのままでいいんだよ」という事自体は、私は親に与えてもらってきたような気がする。それは具体的な言葉ではないけれど、暮らしの中で。
だけれども、社会の中で口に出して伝えてもらったのは初めてな気がした。
今まで何かを成し遂げる事で得る充実感とは、またちょっと違う幸福感や満たされ感に満ち溢れていた。27年生きてきて、初めての感情に出会う。
今の教育や福祉に足りない物はこれかもしれないと思った。
できない事をできるようにする。とか、できなくても生きやすいような方法をさがす。
とかでもなく、できなくてもそれでいいんだよ。と。
デンマークに来て、
マイノリティーである事や、言葉を伝えられない事。できる事が少ない事。
自分の身になって経験出来た事はすごくプラスになっている。
スキルのせいで、コミュニティから抜けていく事や自分に価値が見出せない人たちに今ならできる事があるかもしれない。
経験や学んだ事、支えてくれる人たち。
いろんな事が伏線として起きて、デンマーク生活の最後でここにたどり着いた。
やっぱりすごいぞ。デンマーク。